参加者の声 キャンペーン後もまだまだ募集中!
この40日キャンペーンを通して、多くの声をいただきました。皆様に、そして主に感謝です。いただいたご感想から一部、ご本人の了解を得たものについて、ご紹介させていただきます。 この旅を通して、様々に感じられていることが皆さん一人一人お持ちだと思います。皆様のご意見ご感想などをLastupdate: 2005.12.10(土)
参加者の声
1日分を時間を決めて読み、与えられたメッセージをノートに書き何度も読み書きすることで大切なことが書かれていることを知らされました。もっとじっくり読み神様のみこころを深く知りたく思いました。来年の1月1日からじっくり学び、隣人にも、より良い支えになれますように予習のつもりで読んでいます。
神様は人にそれぞれ異なった賜物を与えています。ある人はたくましい体質を持っていて、ある人は優れた記憶力の持ち主です。ある人は歌が上手で、またある人は優しい心を持っています。全部が羨ましいものばっかりです。でも実は、皆神様からある大切な賜物をいただいています。それは、弱さというものです。
かつて強い人間になりたいとばっかり願っていましたが、弱さが賜物だと気づいたときに、求めることをやめました。自分の持つ弱さを認めて、それと向き合うことが、真の強い人間そして真の勇気ある人だと思います。弱さがなしでは強い人間にはなれないのです。人間って、何もかもうまくいくときには、神様に依り頼むことはしないのです。順調なときに神様に頼る必要がないからです。そのうち、自分がいかに強くて完全な人間かのように思い始めて、神様からどんどん離れていってどんどん傲慢になっていきます。でも、どんなに強くなったって、私たちはあくまでも人間に過ぎません。弱さをまったく持たない人間はいないです。
だから、弱い自分に気づいたときに、喜びましょう。弱っているときに私たちは神様に近づき、頼ります。この弱さのおかげで、大好きな神様に近かづける喜びは、自分が強いと思う人間たちは味わうことができないのです。
また、この弱さという賜物によって、私たちは人の弱さを理解し、同情することができます。イエス様が人間の姿でおられたあいだに、人間の誰よりも悪魔からいろんな誘惑をうけ、最も苦しい体験をしました。だから、主イエスは私たちの苦しみと悩みが分かってくださり、私たちのすべてを赦してくださるのです。私たちも自分の弱さと不完全さと無力さを知ることで、人の過ちをもっと許しあげて、もっと愛せるようになります。神様はこの弱さというものが人間にとって大切で不可欠なものだを知っておられているこそ、一人一人もれなくお与えになったと思います。「弱いときだからこそ強い!」―この御言葉から神様の偉大な愛をあらためて感じました。神様は弱さというものを用いて私たちに真の強さをもたらして下さいます。
かつて強い人間になりたいとばっかり願っていましたが、弱さが賜物だと気づいたときに、求めることをやめました。自分の持つ弱さを認めて、それと向き合うことが、真の強い人間そして真の勇気ある人だと思います。弱さがなしでは強い人間にはなれないのです。人間って、何もかもうまくいくときには、神様に依り頼むことはしないのです。順調なときに神様に頼る必要がないからです。そのうち、自分がいかに強くて完全な人間かのように思い始めて、神様からどんどん離れていってどんどん傲慢になっていきます。でも、どんなに強くなったって、私たちはあくまでも人間に過ぎません。弱さをまったく持たない人間はいないです。
だから、弱い自分に気づいたときに、喜びましょう。弱っているときに私たちは神様に近づき、頼ります。この弱さのおかげで、大好きな神様に近かづける喜びは、自分が強いと思う人間たちは味わうことができないのです。
また、この弱さという賜物によって、私たちは人の弱さを理解し、同情することができます。イエス様が人間の姿でおられたあいだに、人間の誰よりも悪魔からいろんな誘惑をうけ、最も苦しい体験をしました。だから、主イエスは私たちの苦しみと悩みが分かってくださり、私たちのすべてを赦してくださるのです。私たちも自分の弱さと不完全さと無力さを知ることで、人の過ちをもっと許しあげて、もっと愛せるようになります。神様はこの弱さというものが人間にとって大切で不可欠なものだを知っておられているこそ、一人一人もれなくお与えになったと思います。「弱いときだからこそ強い!」―この御言葉から神様の偉大な愛をあらためて感じました。神様は弱さというものを用いて私たちに真の強さをもたらして下さいます。
いままで自分のせいで人間関係のことで失敗したことが二回あります。一つは小学校のときに不意に言ったある言葉を友達に傷つけてしまったことです。わけを聞いたところ、その友達から「自分の言ったことすら覚えないあなたのこと、もっと許せない!」とまで言われました。その後私は友達とのことはすっかり忘れましたが、後になって、友達が卒業するまで私のことをずっと許さなかったことがわかりました。
もう一つはアルバイト先で新人に仕事を教えるときに、気を遣うつもりで言った言葉がその新人を深く傷つけました。その人からの手紙を読んだときにショックでした。悪気全然なかったのにどうしてそんなにことになっちゃったか分からなかったのです。
人間って本当に傷つけやすくて傷つきやすいものだなって思います。お互いにいつも知らないうちに発した何気ない言葉や出した態度で人を傷つけてしまったり、傷ついたりするのです。家族同士だって時々傷つけあうことあるのです。ただ家族の場合は一つ違うところは、たいていはすぐ仲直りして、しかも心から本当に許しあうのです。それは家族には愛があるからです。血のつながっている関係で愛し合っているから、円満家族になることは何よりも大切だということは誰もが思っているのです。
世界中の人々は皆神様の大切の子供です。皆は血縁を越えた関係を持つ霊的な家族なのです。傷つけあうことは避けられないかもしれないが、それでも、私たちは神様からいただいた限りなく大きな愛を持って一つになりましょう!
もう一つはアルバイト先で新人に仕事を教えるときに、気を遣うつもりで言った言葉がその新人を深く傷つけました。その人からの手紙を読んだときにショックでした。悪気全然なかったのにどうしてそんなにことになっちゃったか分からなかったのです。
人間って本当に傷つけやすくて傷つきやすいものだなって思います。お互いにいつも知らないうちに発した何気ない言葉や出した態度で人を傷つけてしまったり、傷ついたりするのです。家族同士だって時々傷つけあうことあるのです。ただ家族の場合は一つ違うところは、たいていはすぐ仲直りして、しかも心から本当に許しあうのです。それは家族には愛があるからです。血のつながっている関係で愛し合っているから、円満家族になることは何よりも大切だということは誰もが思っているのです。
世界中の人々は皆神様の大切の子供です。皆は血縁を越えた関係を持つ霊的な家族なのです。傷つけあうことは避けられないかもしれないが、それでも、私たちは神様からいただいた限りなく大きな愛を持って一つになりましょう!
「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」とイエス様は語っています。この言葉の意味は以前なかなか理解できませんでした。 というのは、人のことを好きにならないと愛することができないと思っていたからです。あるとき、中国語の礼拝を聞いていたら、なかに「捨己為人」ということを教えています。この四字熟語の意味は、人の為に自己(自分)を捨てるとのことです。なるほど、隣人を愛するということは、自分を捨てることにつながって、別に好きにならなくちゃいけないというわけではないです。好きになるのは、気持ちの問題かもしれませんが、愛することは、ほとんど行動の問題ではないですか。自分を捨ててまで人を愛することは、まさにイエス様は全人類のためになさったことです。しかし、「隣人を愛する」は頭で理解しても、実行するのは本当に難しいです。悪魔に負けて自分のことをばっかり考えちゃってると悔しくてしょうがないときもあれば、やっぱりどうしても自分を捨てることができないと苦しいときもあります。例えば、嫌いな人に遭うときに、つい自分の気持ちや都合を優先してしまうのです。でも、人のことを心から本当に許せたときに、それまでの苦しさが一気に吹っ飛んで、真の自由が私を解放した!という感じがしてならないです。「自分を捨てる」という言葉を常に心にかけなければ、気づいたら自己中心の悪魔の世界に陥ってしまいます。だから毎朝欠かさない一つ小さな祈りを捧げています:今日も一日、神様のこと、そして人のことを愛せる時間が、昨日よりも多く持てますようにと☆愛をもって悪に勝ちます(ローマ12:21)
クリスチャンになったばかりのせいか、私はキリストに関する知識があまりにも不足で、いつもたくさん得ようとしています。「五つの目的」を学ぶ理由も神様の御心をもっと知りたくて、聖書に関する知識をもっと増やしたいと思ったからです。しかし、この「五つの目的」を読んでいるうちに、聖書を学ぶということは、新しい智恵や思想を増やしたり、賢く生きたりすることではないということが教えてくれました。それどころか、いままでの人間的な考えを全部捨てて、まったく違ったもの、つまり、キリストの品性を持った生きかたを取り入れるということこそ聖書勉強の主旨なのです。そして、どれだけ聖書の知識を得ているよりも、どれだけ聖書の御言葉通りに実行できているのかは、何より大切だというふうに気づかされました。たとえキリストの考えを少ししか勉強していなくて、その習った部分をきちんと実行できていれば、それでも十分ではないでしょうか。愛の使者であるクリスチャンは、愛に関する知識よりも、人を愛しようとする行動を通して、イエス・キリストの子、イエス・キリストの弟子であることを示しているからです。「五つの目的」はこうして私のなかの誤った考えを直してくれたり、新たな問題点を気づかせてくれたり、しています。私にとって「五つの目的」はまさに、真理へ導く方向を正確に示してくれる、大切なコンパスなのです。心から感謝します!
人に何か助けを求めるときに、「ごめん、いま忙しいから、あとでいい?」というふうに言われるとどう感じますか?「忙しそうだからしかたない」と納得するときもあれば、「忙しいのは分かってるけど、やっぱり助けてほしいよ」という気持ちもあります。人はよく、忙しさという理由だけで、助けが必要な人のことを断っています。しかし、私たちは忙しさのために生まれてきたのではありません。
生きる目的を捨ててまで、人生を急ぐということは、考えたらとても可笑しいことです。「忙しいから、あとでいい?」=「忙しいから、愛することを後回しにするね」=「先にやるべきことがあるから、それが済んでから人生の目的を果たすね」と同じニュアンスになります。優先順位が逆になって、滑稽すぎます!しかし、可笑しく、かつ悲しいことに、忙しさに追われる私たちは、こうして、ちっぽけなものにばかり目を向けて、本当に追うべきものを忘れています。
神様を、人間を愛するために生まれてきたことこそ 人生の目的であることを、常に心に留めれば、きっと「忙しいから!」という言葉を口からしなくなると思います。(L)
「人生を導く5つの目的」は子供から大人までどのような境遇の人でも関心を持って聞けるすばらしい本です。しかし残念ながら、話は聞いてもらっても少しでも宗教の内容だと分かった時に心を閉ざされる人もいます。それでも紹介できたということは感謝です。勇気を持って誘えたけれど、20分ほど遅れても来られない状態なのでもう来ないかもしれないとあきらめていました。その方は後から来られたので驚きました。しかし私に準備の足りなさがあったこと、突然誘ってしまったこと神様に「ごめんなさい。」です。教会のお話をし結局世間話をして帰って行かれました。30分ほどでしたが、誰にも打ち明けていないお話を聞けたのは心を開かれ信頼されたからだと思います。その人(Tさん・・・同じ団地の1階の人・・・ご夫婦で関西学院大学出身)の様子や、状態がすっかり安心できて主に学び、救われますよう御霊様の働きが豊かにあるようにお祈りに覚えて頂ければ感謝です。嬉しいことも悲しいことも分かち合い五千人の人々に食べ物を与えられたイエス様にすがりつつ。
感謝しつつ。(M.S)
たくさんの人は、「自分のために生きる。死んだら何もかも無くなるし、この世に生きている短い期間を思いぞんぶんに楽しめなくちゃ!!」と思っています。私もずっとこのような考えを持ち、自分の幸せを求め続けることを目的として、楽しい日々を送りました。しかし、こうして楽しい毎日が続くと、かえって空しくなってきました。楽しいけれども、いつかきっと消えるという不安を感じはじめ、それから、何のために生まれてきたかという疑問を抱き始めました。主の導きによって、私はイエス様と出逢いました。それまで考えもしたことのないような、主の知恵を与えられて、聖書を通して、ものの見方と人間の見方が、ガラリと 変わってしまいました。人間的な思いを捨てて、神様が与えてくださった生きる目的を知ることで、永遠に神様のそばにいられ、神様の愛する子供になることができると思います。それを信じ、私は人間的な視点からではなく、神様の視点から、人生の目的を考え、学びんでいきたいと思います。神様が与えてくださった目的をきちんと果たし、いつか必ず自分の故郷へ帰る準備をこの世でします。(25歳女性)
「40日の旅」とは?